エピソード

被災地を放っておけない

 

阪神大震災の時は、前原ロータリークラブの会員だった岩永さんは、直ちに現地支援の行動を起こしました。会社のトラックに即席めんや衣類を積み込み自ら運転して被災地へ運んだそうです。この時は、電気も水もない被災地でトイレに一番困っていたことを知って被災地支援になにが大切かを学んだと話しています。

朝倉地方を襲った集中豪雨の被害でもすぐに現地へ走り、自然災害が起きた時、行政はどう対応すればよいか、被災地はなにを望むのか、被災地の実情を見て考えました。

捨てられる動物を放っておけない

お花

岩永家の愛犬はいつもミックス。
捨て犬を見過ごせず里親になるからです。今の家族、子犬の「お花」もそんな4代目。
保健所に移されて殺処分になる寸前に家族で引き取り世話をしています。

捨てられた犬や猫の里親を探したことも何度か。平気で犬や猫を捨てる飼い主の多さを嘆き、動物にやさしいとは、まだいえない糸島市をボランティアと協力しながら動物の保護に力を入れる行政に変えていきたいと抱負を語っています。

遺骨を放っておけない

2005年(平成17年)10月1日の西日本新聞は、岩永家とある韓国人一家との交流を写真入りで社会面に大きく掲載しました。

2005年10月1日 西日本新聞

 

 

その韓国人、ホン・ウルヨンさんは戦前、福岡に渡ってきました。終戦の混乱で家族と離ればなれになり岩永家の土木会社に住み込んで働くことになりました。一番風呂とお酒を楽しみにする暮らしでしたが脳出血で倒れ、その闘病は8年にもおよびました。岩永家は親身に看病しましたが1979年に70歳で亡くなりました。

死後も家族として遺骨を供養した岩永家でしたが12年前、数昭さんが遺骨を遺族へ返そうと思い立ち、知人を通じて韓国でホンさんの家族を探しました。これが韓国内で大きく報道され、蔚山(ウルサン)に住む二人の娘さんが見つかりました。二人は来日して前原の納骨堂で父親の遺骨と涙の対面を果たしました。この経緯が西日本新聞の記事になったわけです。

いわなが数昭少年とホン・ウルヨン氏
いわなが数昭少年とホン・ウルヨン氏

岩永さん一家は改葬の手続きをして遺骨を蔚山に運び、この時も海峡を越える交流として現地の話題になりました。弱い立場にあるものにやさしくするのは岩永家の家風といえるのでしょう。